幸せな女

昔から、猪突猛進。不注意あり。楽しくポジティブに育った30代の子持ち女の回想記となっております。

良くも悪くも

小学校一年生で、地方に引っ越した。





入学早々驚いたのは、女児達のがさつさだ。





一枚の紙に向かい、数名で絵を描いていた。




すると自分の手が、誰かの手により払い退けられた





手の甲で押されて、自分の手は紙面の外へ弾かれた





私の手が邪魔だったのだろう






そんなことが続き、

"なんて奴らだ、、、こんなことがあるのか、どういう神経なのだ、、場所が変わると人の種類も変わるのだ、、"





と思った。


 



ショックで不快で少し恐怖だった。






こんな事をアラフォーの今でも時々思いだしてしまう。





多くの人にとっては大した事ないのだろうか。








感受性の大小は十人十色というけれど、他人の思考など、所詮一生解らない







良くも悪くも感じやすい






長所でもあり短所でもある





今ならそんな風に内省ができるし、このままの自分で良いとも思える







だけど小さな頃は、感じすぎて損をしたことも多かったように思う




  




今はただ、

昔の自分を労ってあげたい

サトリ、サトラレ





人の気持ちや、性格的な特徴を察するのが得意?な方だと思う。







声質や表情の、微妙な変化から、

何となく、心をよむ。







数分喋れば、相手の大体の特徴がわかり、

その後も、その印象が大きく変わる事はない。








職業柄、対人コミュニケーションを要するので、役立っている気もする。








だが、必要以上に、人に合わせてしまうため、自分というものがない。








相手が気持ちよく過ごせるように、自分を都度、変化させていると感じる。








誰にだって、そういう側面はあると思うが、

私の場合、極端なのだ。







いい人と言われる事はあっても、

優しい、とはほとんど言われない。








本当はかなり我儘で、クールに人を観察している。







ごく稀に、勘が良さそうな人には、

自分の二面性を、見透かされてるのではないかと思うことがある。








人間失格に、「道化」がバレて焦る、

というくだりがあるが、それに近い。








疲れるのでは?と思われるかもしれないが、

私の場合、家族との関係で、このバランスをとってきた。









所謂、内弁慶ってやつだ。








特に、母親と旦那には、傍若無人に振る舞っている。







そういうのって、隠しきれなくて、顔つきとかに出ているんだろう。







私の第一印象は、大体、怖そうとか、

近寄り難い、だ(涙)。








外と内とのバランスを、

もう少し、上手くとれたらいいのに。








根に持つわたし 3




こんな私であるが、年長クラスの担任だった女の先生のことはとても好きだった。






びっくりするくらい綺麗で、可愛くて、女優さんのような人だった。





私は小学生になると同時に、東京から地方に引っ越したのだが、その先生とは、年賀状のやりとりをしていた。






3年生になり、私は突如、保育園時代の傷ついたエピーソドと、先生達への恨み文を書く事にした。






そう、年賀状に。






嫌な思い出に、この先生はほとんど関与していないのだが、困った顔をしただけで、助けてもらえなかった悔しさが、フラッシュバックして、怒り任せに書いてしまったのだと思う。







母親はその年賀状をみて、本当に出していいの?と聞いてきた。私はいいの!と返事をした。







後日、母がその年賀状を本当に出したのだと、返信を見て理解した(今考えると、母すごいな。。)






「あけましておめでとう。たけぞうちゃんは、みんなに愛されて可愛がられて、たけぞうちゃんのことを嫌いなんで言う先生はいなかったよ。」






という内容が、びっしり書いてあった。









私はそれを見た時、純粋に嬉しかったし、少し悪いことをしたな、とも思った。






でも、今だってそうなのだか、やっぱりまだ許せないというか、たまーに思い出しては、悲しくなってしまうのだ。







もう大人なので、今はそんな年賀状を新年早々送りつけてしまったこと、深く反省している。






本当にごめんなさい。






先生、お元気しょうか?